あるきはじめる大学 #ある大

あるきはじめる大学(大学原論)とは?
——「大学原論」のおさそい

この夜間大学は、京都の住民、学生、院生、職員、教員に開かれた、どんな既存の組織からも自由な神出鬼没の夜間大学です。歴史上まれにみる病疫と暴力の中で、大学での学びを始めなければならなくなった新入生はもちろん、自分たちの思考の枠組みを大きく超える事態に直面して歴史や哲学や政治や社会を学び始めたい人びとのために、一緒に学びの場を作り、育てていく講座です。事前の登録も、事前に必要な知識も、事前に読んでおく教科書もありません。出会い、聞き、話し、考える。昼間より遅めの呼吸で、ゆっくり歩き始めたいと思います。どうぞ、ふるってご参加ください。




#4 公開講座
「北山エリア再開発問題から、京都の街と大学を考える」


主催:アドソキア
登壇者:
北山エリアを考える府大学生有志の会
吉田寮生(京都大学農学部)
井﨑敦子(市民活動家)
森千香子(同志社大学教授)

入場無料・予約不要

日時:11月20日(日)14:00~16:00 (13:30会場)
場所:京都大学人間・環境学研究科地下大講義室

2020年12月に京都府は「北山エリア整備基本計画」を発表しました。府立植物園の機能を削って商業施設を建てるとか、府立大学の体育館を一万人規模のアリーナにするとか、なんだかすごい話が聞こえてきます。一体なにが起こっているんだろう? 
そして、よくよく話を聞いていると、これまで京都大学で起こってきたこととも重なるような……。
本来はみんなのものであるはずの公共財が、一部の企業(資本)の論理によって形を変えられていく。当事者の声を聞かずに少数の人たちがトップダウンで物事を決めていく。現場の経験や知恵が軽視される。こんなことでいいのだろうか。
いま大学で、京都の街で、そして世界中で起こっている様々な問題を、繋がり合った一つの問題として考えたい。そして、どんな社会にしていきたいかみんなで一緒に考えたい。
大学は誰のためのもの? 街は誰のためのもの?
いろいろな人のお話を聞きながら、一緒に考えてみませんか?






過去実施次第

#2, #3 公開講座「ポストコロナの大学を考える」

主催:アドソキア
共催:NEKKO
共催:JSPS領域開拓プログラム「パンデミックの歴史研究に基づいたポストパンデミックの社会・環境理論の構築」(代表:藤原辰史)

コーディネーター :藤原辰史(人文科学研究所)
ポストコロナの時代、大学と学問はどのようにあるべきでしょうか。今後感染症が蔓延した場合、やはり今回のように活動は制限されるのでしょうか。危機の時代に、私たちは、誰と、何を、どのように学び合うことができるでしょうか。どのような手段で、社会とつながっていくべきでしょうか。今年4月26日に、京都大学で始まった「あるきはじめる大学」は、第二歩目、第三歩目へと向かいたいと思います。はじめての方ももちろん歓迎です。お誘い合わせの上、ご参加くださいませ。お子さん連れも大歓迎です。

サブ・コーディネーター:鷺志緒(理学部アドソキア代表)
夏の「あるきはじめる大学」で私たちは第二歩、第三歩と足を進めたいと思います。
現在、「ポストコロナ」「ポストコロナの大学」に焦点があたりつつあります。京都大学を含む多くの国立大学法人は、広大なキャンパス用地と莫大な(目減りしているとはいえ!)国家予算を用いて教育・研究・経営を行っています。しかし、いま私たちが経験しているような大学が、大学の唯一のあり方であるとは限りません。
いやむしろ、「大学とは別様に/大学の彼方に、大学がある」という矛盾しているかにみえる判断こそが、大学の本来的な精神を描くのかもしれません。ここで私たちには、大学の歴史を検討する余地が出てきます。第二歩では、小山哲(文学研究科)がロシア支配下のポーランドで生まれた「空飛ぶ大学」という非正規の大学について、第三歩では、大河内泰樹(文学研究科)が大学を「人生の日曜日」と捉えた哲学者ヘーゲルによる「世俗」と「知性」をめぐる思考を報告します。それぞれ別日に行いますが、いずれも大学の精神がいかにありうるかという点でテーマは共通します。そしてその精神の内容は、参加者各位が集い、言葉を交わすことで、初めて経験されるでしょう。
暑い日が続きますが、どうぞお集まりください。

#2 6/23(木) 18:30-20:30 @北部構内旧演習林事務室
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/yoshida/map6r-n(参考)

実施形態
対面
※ポスター等においてzoom.usでも配信予定の旨をお知らせしておりましたが、会場の機材の関係により、アーカイブ形式でダイジェストをyoutube等で公開することといたします。

プログラム(途中休憩を挟みます)
18:30-19:30 提起
(提題:空とぶ大学——ウクライナ侵攻の時代に学ぶこと)
19:30-20:30
討議(テーマ:ポストコロナの大学を考える)

提起者コメント:小山 哲(文学研究科)
「大学で学ぶ」とは何を意味するのでしょうか? 大学のカリキュラムに沿って授業を受け、単位を揃え、学位を取得することでしょうか? 私たちは何のために「大学で学ぶ」のでしょうか? キャリア形成のために? 企業や官庁で即戦力となる人材となるために? 19世紀末、ロシア支配下のポーランドで「空飛ぶ大学」と呼ばれる学びの場が生まれました。大学への門戸を閉ざされた女性たち、大学の授業に満足できない学生たちが、ロシア帝国の大学の教壇に立てない学者たちと連帯して組織した連続講座です。この伝統は20世紀後半、社会主義体制下の知識人と若者たちに受け継がれ、ポーランドの体制転換の原動力となりました。東ヨーロッパの歴史のなかの経験を手がかりにしながら、大学とは何か、みなさんと共に考えます。

#3 7/28(木) 18:30-20:30 @北部構内旧演習林事務室
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/access/campus/yoshida/map6r-n(参考)

実施形態
対面
※ポスター等においてzoom.usでも配信予定の旨をお知らせしておりましたが、会場の機材の関係により、アーカイブ形式でダイジェストをyoutube等で公開することといたします。

プログラム(途中休憩を挟みます)
18:30-19:30 提起(提題:人生の日曜日——ヘーゲルの大学論)
19:30-20:30
討議(テーマ:ポストコロナの大学を考える)

提起者コメント:大河内樹(文学研究科)
 大学原論第三歩では、哲学を扱います。実は、「大学」もまた、「真理」や「正義」とならんで哲学者たちが論じてきたテーマのひとつでした。そうして大学を論じた哲学者のひとりであるヘーゲルは、大学を「人生の日曜日」と呼びました。そういわれるとすこし上の世代の方は、かつて大学が「レジャーランド」と呼ばれていた頃のことを思い起こすかもしれません。しかし、ヘーゲルはもちろん大学を(狭い意味で)遊ぶところと考えていたわけではありません。ヘーゲルのこの言葉には、ヘーゲルの時代認識が大きく関係しています。この講義では、この時代認識がこの二一世紀の私たちの時代と無関係ではないことをお話ししたいと思います。むしろ、ヘーゲルが一九世紀に認識していたような時代が、今また繰り返されているといってもいいでしょう。ヘーゲルの時代と大学論を通して、現代がどういう時代なのか、そして大学はそこでどうあるべきなのかを考えてみたいと思います。

新入生のための大学原論
「大学に出会う、街に出会う」

日時:2022年4月26日(火)
場所:京都大学百周年記念時計台ホール 
時間:18:30―20:30
*感染状況に応じて、オンライン開催に切り替えます。

#藤原辰史(ふじはら・たつし 京都大学人文科学研究所教員) #井崎敦子(いざき・あつこ 雑誌NEKKO編集長) #齊藤ゆずか(さいとう・ゆずか 文学部学生) #中村峻太郎(なかむら・しゅんたろう 文学研究科院生) #学生サークルからのリレー・メッセージ #会場との意見交換 #学生の演奏もあるかも? #一夜限りの教員ユニット「ティーアガルテン(通称TG)」(小林哲也+細見和之)ミニライブ

入学はしたけれど、前向きになれない。課外活動の制限があって思い切ってできない。大学の講義や演習以外で、もっと世界のことを学びたいけれど、どう学べばいいかわらかない。ウクライナへの侵攻やコロナ禍のニュース、残酷な事件を見て、自分の未来を見失いそうになる。もっと、いろんな友だちを作って、いろんな考えを聞きたい。もっと、大学の教員や職員とざっくばらんに話したい。社会人になったけど、学び足りない。若い頃にもっと勉強しておけばよかった。

そんな思いをかかえた方と一緒に、学生や市民の枠を超えて、街と出会い、大学と出会い、世界と出会う「まなびの場」をいっしょに育てていきませんか。大学の本来の意味に戻り、「くらし」と「まなび」が溶け合った大学を一緒に作りませんか。

そのスタートは、京都大学で現代史を研究する藤原辰史が、各所で高く評価されている京都発のおしゃれな自治マガジン「NEKKO」を立ち上げた井崎敦子さんをゲストに、これからの世界はどうなるか、不安の時代に、学びの場は、生活の場は、どうあったらいいのかについて、徹底討論をします。京都大学の学生や院生にも参加してもらい、「くらし」と「まなび」がゆるやかに交錯する「つどいのかたち」を探っていきたいと思います。